白波県

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白波県(しらなみけん)は箱日本の塗帆地方南部に位置する県である。県庁所在地は雪舞市(ゆきまいし)。

概要

白波県は塗帆地方の南西に位置しており、東に蒼風県、北に三城県と接し、南側には海が広がっている。

白波県は県庁所在地の雪舞市と、小河原市、浦ヶ崎市、椿沢市、小宮町の4市1町と、御手柄群(みてがらぐん)の複数の町村によって構成されている。

その範囲は旧来の令制国の河下国(かわしものくに)に由来する。

名称

白波県の県名は、江戸時代後期の著名な佳人「藁草 微笑(わらぐさ びしょう)」の詠んだ、「夏海や 白波超える 漁船かな」という句に由来する。

旧河下国の沿岸地域は古来より幾度も津波や高潮などの被害が繰り返されており、幕末にも小河原沖地震による津波で深刻な被害を受けたが、河下国の民はものの数ヶ月で港を復旧して沖合での漁業を再開したとされる。旅の途中で立ち寄った浦ヶ埼の高台から、この光景を見た微笑は河下の人々の逞しさに感動し、幾度の災害を乗り越えてきた人々を大波(先の地震による津波を暗に示す)を乗り越える漁船の情景と重ねて、この句を詠んだと言われている。

明治の廃藩置県に際して新たな県名を考える際、『旧来の「河下(かわしも)」では、由来となった湯霧川の上流の三城県より劣る印象を与える』として、当時も有名であった微笑の句の一部を借りて「白波県」と命名された。

地理・地域

白波県の範囲は横に長く、地形は東側に蒼風県との境の陽所山地、南側は雪舞湾が広がっている。北西部に広がる三城県野菜間島市周辺の御手柄群にも山地が多い。

白波県の各市町村は、

県庁所在地であり、東舞道の宿場町として古くから栄える雪舞市、

かつては河下国の主城が置かれた中心地であり、漁業や廻船で栄えた小河原市、

雪舞市の東側に位置し、地名の通り傾斜地に椿を植え、椿油の生産で栄えた椿沢市、

微笑の句が生まれた高台や、サーファーに人気の浦ヶ埼海水浴場がある浦ヶ埼市、

かつては不沈水軍として恐れられた河下水軍の拠点が置かれ、現在も競技用カヌーなどの生産が続く小宮町、

ザ秘境といった感じの山地が広がり、近代になってからは大型ダムによる水力発電所を多数持つ御手柄群の複数町村、

の4市1町+αである。

歴史

古代から漁業が盛んであったとみられ、県内の遺跡には巨大な貝塚が多数発見されている。最古のものでは縄文後期の作と見られる丸太船が出土しており、研究者は大きな滝の上から流れて急降下する古代のスプラッシュ系アトラクションであったと推測している。

室町時代頃から大名の風条氏が権力を持ち始め、戦国時代には小河原に城を構える。当時漁船や商船を襲っていた海賊を鎮圧し、逆に幹部を武士として取り立てて後に箱日本最強の不沈水軍としてその名を轟かせる河下水軍を結成。土地柄比較的貧しかった事もあり積極的に外征を行ったが、水軍の本領たる島嶼部を除いて、あまり上手く行かなかった。

近代では古い城下町で拡張の難しい小河原市から新都心として雪舞市へ賑わいの中心が移り、その2点間を中心に結ぶ小河原電鉄などの民間企業が発達した。

政治・行政

緊縛君主党を始めとする箱日本の逆張り政党は議会から出禁になっているが、雪舞周辺には多くの逆張り政治家の別荘が存在する。

交通

鉄道は小河原市から雪舞市を通って椿沢市まで伸びる塗帆地方No,2規模の私鉄の小河原電鉄線と、蒼風県へ続くJMR東毎道線、雪舞線、御手柄群の山地を超えて三城市方面へ続く三城線や、現在計画が進む塗帆新幹線が走っている。

鉄道網の不足を補うように、買収で小河原電鉄グループとなった白波沿岸バスの路線が多数張り巡らされているほか、戦時期に国鉄に買収されるまでは小河原電鉄系列だったJMR三城線(旧 間島御手柄鉄道)の沿線に、同じく小河原電鉄系の三城南部交通バスが走る。

高規格道路は蒼風湾岸都市高速道(都市高 蒼風湾岸線)や蒼南陽所自動車道(蒼陽道路)と繋がる南蒼風JCTから小河原市西部まで、有料道路の小河原バイパスが通っている。

船は雪舞汽船の『もう気がクルーズ』定期船が蒼風方面へ就航しているほか、雪舞湾を中心に水中の魚や跳ねるイルカや、水中を最大600km/hで泳ぐ塗帆地方固有種のスーパーキャビテーションマグロなどを見学できる観光船が出ている。

文化

白波県出身の有名人は、

  • 散々オールスターズ 浦ヶ埼発、不幸体質系アーティスト。勝手に給与カット、いとしのマネー、TSURAI 等が代表曲。厄除けを受けたらよほど強力な悪霊に取り憑かれていたらしく、神主が呪い返されて一時生死を彷徨った。
  • 柴里 北三郎 昭和初期に活躍した生物学者・医師。全国的に罹患者の多いサザエさん症候群についての研究を進め、国際的に権威のあるノーベノレ医学賞を受賞した。塗帆地方の歴史の教科書にはだいたい顔写真が載っており、よく悪童に落書きされている。
  • 逆田 筋時 鎌倉時代に御手柄で生まれ育ったとされる武士。幼少期からやたらガチムチで重く巨大な斧をやすやす担ぎ、森で倒した野生動物を従えていたと言い、塗帆地方を中心に有名な童話「筋太郎(マッスルたろう)」の主人公のモデルとされる。青年期に著名な武士の「厳 葦綱(いつくしの よしつな)」にその筋肉を取り立てられて家臣となり、朝廷主催で都にて開かれていたボディビル大会を連覇して荒らしまわった超ガチムチな鬼を、人間離れした完璧な仕上がりの筋肉美で退治したという伝説が残る。

関連項目